画家・赤穴桂子は、1950年代に新制作展や交流協会展などで注目を集めたのち、1960年代初頭に制作発表を中断しました。それは決して後退ではなく、画面と現実との距離、自らの表現の在りかを見つめ直すための静かな時間でもありました。
1975年、鋼板作品によって活動を再開すると、油彩、銅版、木版、ペーパー作品へと表現は広がり、詩や文学に触発された独自の造形世界を築いていきます。
その歩みは一見、大きく変化しているように見えますが、根底には一つの問いが通底しています。「何を、どこまで表現できるのか」。完成や様式の確立を急ぐことなく、画面の内と外、存在の不確かさ、浮遊する物体、光と影、不安と希望を、素材を横断しながら探り続けました。
文学との出会いもまた、挿絵的な引用ではなく、内面の深層にある感覚を視覚へと置き換える試みでした。個として抱える不安を出発点としながら、それを普遍的な主題へと昇華させようとする姿勢は、生涯を通して揺らぐことがありませんでした。
その軌跡は、今もなお静かに問いを投げかけ続けています。
Ⅰ 初期(1924–1960) ― 受賞・新制作展期 ―
1924 東京・本郷に生まれる。
1937 東京女子師範学校付属小学校卒業。
1942 東京府立第二高等女学校卒業。
1947 伊東忠太設計研究所でデザインを学び、助手として勤務。
1949 猪熊弦一郎の絵画塾、田園調布純粋美術研究室で洋画を学ぶ。赤穴宏と出会う。
1950 赤穴宏と結婚。
1951 長男・映 誕生。
1952 岡本太郎らとアートクラブに参加。
1953 第7回アンデパンダン展 奨励賞受賞。第17回新制作展 新作家賞受賞。
1954 自宅アトリエ改築。
1957 読売アンデパンダン展運営委員。朝日新聞美術団体連合展 佳作賞受賞。
1960 第24回新制作展で二度目の新作家賞受賞。
Ⅱ 中断期(1961–1974) ― 無所属・彫金・シナリオ制作 ―
1961 交流協会展後に同協会を脱退。以後、無所属として活動。
1961 自宅アトリエ改築。
1966 彫金作家・牧田久義、牧田良一に師事し、彫金技術を学ぶ。
1960 テレビシナリオ制作を学び、複数の作品を試作。
Ⅲ 再開以降(1975–1998) ― 銅板・文学的展開 ―
1975 銅板作品の個展を開催し、作家活動を再開。
1977 Galerie412での個展を機に、宇佐美圭司、加納光於、矢内原伊作、中村真一郎らと交流。
1998 脳動脈瘤によるクモ膜下出血のため逝去(74歳)。

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